海と母の記憶|1973年のピンボールを読んで
1973年のピンボールより、『海』
『女の家は突堤の近くにあった。鼠はそこに通うたびに少年の頃の漠然とした思いや、夕暮れの匂いを思い出すことができた・・・・・アパートは以前に漁師の小屋があったあたりに建っている。何メートルか穴を掘れば赤茶けた海水が出てくるような土地だ。・・・・・女の部屋は二階にあり、風の強い日には細かい砂がパラパラと窓ガラスに当たった。小奇麗な南向きのアパートだったが、そこには何処となく陰気な空気が漂っていた。海のせいよ、と彼女は言った。近すぎるのよ。潮の匂い、風、波の音、魚の匂い、、、何もかもよ。』 −1973年のピンボール 村上春樹
村上春樹の初期の作品には、時々海の描写が出てくる。
そしてそれは、昔芦屋に存在した古い海岸線をモデルにしている場合が多い。
ボクも幼いころ遊んだのも、同じ芦屋の海岸線でした。
今は埋め立てられて、河口に少し面影を残す砂浜が残されているのみ。
その当時も既に海は汚れ始め、かつての海水浴場も遊泳禁止になっていてね。
それでもやはり、海岸には沢山の人を惹きつける魅力を残していたなぁ。
小さな頃のボクがそうだ。
母親が家業を手伝うことが多く、小さなボクはひとり寂しかったせいもあるのでしょう。
歩いて30分ほどのところにある海岸に連れて行ってほしいと、せがんだことを覚えている。
簡単には連れて行ってもらえなかったが、漸くある日の午後それがかなって、母親と一緒に河口付近の砂浜で砂遊びをした。
おそらく6歳くらいのことだったと思う。
海岸で砂遊びをするそのことよりも、忙しい母を独り占めできたことのほうが嬉しくて、その時のことは今でも覚えています。
母もなんだか、ホッとしていたような表情だったように思う。
そしていつもよりも優しかった。
村上春樹も書いているように、海岸では様々な体感ができる。
潮の匂い、風、波の音、魚の匂い・・・
リズミカルな波の音は、リラックスさせてくれるし、潮の香りは、日常の暮らしをちょっとした非日常に変えてくれる。
魚の匂いは、さすがに住んでいる人や漁師や釣り人にしかわからないだろうけれどもね・・・(笑)
小さな頃の記憶はどんどんなくなっています。
だけども、波の音や、肌を突く風や、貝殻や砂の感触は、不思議といつまでも覚えている。
そして、母がめったに見せないリラックスした表情も覚えている。
そんなことだけは、覚えている。
不思議ですよねぇ・・・
僕は、「八月の濡れた砂」が強烈な海の映画でした。石川セリの気だるく哀愁に満ちたBGMが今も耳に響きます。Youtubeで見てみよう。おはようございます。
山田さん、ボクもテレビかヴィデオで見た記憶があります。多分ATGの製作でしたよね!