国や団体や組織から、個人の影響力の時代へ・・・

人間は一つのことに対する“怒り”を感じる、持続できるのは4分半程度らしいです。

逆に言えば、4分半経てばたいていの怒りは薄れる。

だから一時的にカッとなっても、仲直りできるし反省もできる。

「一生怒り続ける」なんてことしてたら体が持たないようになっているのです。

 

個人の人間はそういうふうにできている。

しかしそれが組織や団体になると話は変わってしまいます。

だから民族間の争いや戦争は永く続く。

きっと、良いふうにも悪いふうにも力が持続できてしまうんでしょうね。

個人の正義と企業という団体での正義は何故違うのか?

ただひとつ、気をつけたいことがあります。

組織や団体になると、誰かを傷つけていたとしても、そういった認識が薄くしか感じられない、ということです。

喩え話を一つ。

『あなたはあるアパレルメーカーの社員です。

会社員なので売上や利益を上げなければいけない、そう思い込んでいるし、上司からもそう言われている。

そこであなたはこう考えました。

「良い商品を、安く大量に作って売れば儲かる!」そう思って行動に出た。

「遠く海外の僻地で作れば安い工賃で作れるぞ!」そこでバングラデシュの工場に発注した。

そこでは劣悪な労働環境で、未就学の子供が働いている。

あなたは薄々気がついているものの、深い罪悪感は覚えない。

自分には、企業の一員として売上、利益に貢献しなきゃいけないから。

それがみんなの幸せにつながると信じ込んでいるから・・・』

 

おそらく、個人としてならば、劣悪な労働環境で未就学の子供が働いている、という事実には誰もがノーと言うでしょう。

しかし、組織や団体の一員になった途端、言えなくなったり、わからなくなったり、目をつむったりするのです。

ボクも含めて、こういう危険は誰もがはらんでいると思います。

個人が影響力を発揮できる時代

『これからは個人の影響力の時代・・・』と、藤村正宏先生はおっしゃいます。

『システムとしての壁は冷血に効率よく殺人を犯すが、個人単位では誰もが薄い皮に包まれた卵だ・・・』村上春樹さんはスピーチでそんなお話しをされた。

『想像してごらん 国なんて無いんだと。そんなに難しくないでしょう?殺す理由も死ぬ理由も無いんだ・・・』ジョン・レノンはそんなふうに歌いました。

ジョンレノン

組織や団体での理論や正義ではなく、個人の影響力・発信力で世の中が動き出せば、戦争や、不毛な安売り競争による悲劇は無くなるのかもしれない。

そして今はそれが可能な時代に、確実になってきているような気がします。

 

 

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