さて、何のための東京オリンピック?

VMDコンサルタントの藤井雅範(ふじいまさのり)です。

解体前の国立霞ヶ丘競技場(ウイキペディアより)

解体前の国立霞ヶ丘競技場(ウイキペディアより)

新国立競技場問題、白紙撤回されましたね。

設計を手がける予定であった建築家のザハ・ハディド氏はアンビルドの女王とも呼ばれています。

アンビルド=“プランは良くても実現できない”ということ。

それだけ斬新なアイディアと豊かな芸術性があるということかもしれませんね。

主役は誰で、目的は何?

そもそも、どうして国立競技場が改築されるのか?

それは2020年の東京オリンピックに向けて、というのが当面の目標。

そしてその後も活用され続ける競技場を目指したいはずですね。

では競技場の役割ってなんでしょう?

オリンピックであれ、そのほかの競技大会であれ、そこで競技する人が日々重ねてきたトレーニングの成果を発揮し、それを見た観衆が感動する。

そのための器、ということですよね。

だからオリンピックやそのほかに競技大会の主役は競技する人とそれを見る観衆。

競技場はあくまで脇役です。

目的は、それを見ることによる感動。

だからそれが実現できる環境があれば基本的な目標は達成できる。

そのためのシンプルな意味で考えれば、今回のプランがオーバースペック(過剰な仕様・性能)なのは明らか。

もちろん、日本の技術を世界に示す良い機会であったり、斬新なデザイン性で期待感を煽るのも効果はあると思います。

海外からやってくる人々に外観や設備で感嘆していただいたり。

しかし、それがメインではありません。

あくまでオプションです。

もちろん適正な予算の範囲内でできるのなら大歓迎ですが。

あまりにかけ離れた投資を、その脇役のためにしても良いのでしょうか???

本質を見誤まらないこと

犯人探しをすることは不毛だと思うし、おそらく犯人はいないかもしれません。

ただ、主役を引き立てる脇役としての目的を、設計者、ゼネコン、審査員、関連委員会、東京都、政府、など関わる人たち全てが理解してすすめていけば良いのでしょうね。

あくまで主役はアスリートと観衆。

自分の受持部分だけの視点だと本質を見誤ります。

自分は設計だけ、自分は工事だけ、自分は審査だけ・・・では実現できない、ということ。

アスリートも観衆も、斬新なデザインを求めているのではない。

感動できる 場、を求めている。

 

・・・・・そういうことです。

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