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われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示したい・・・

『われわれの精神が自由であるという証(あかし)を具体的に提示したい』

芦屋を発祥に1950年代から1970年代に活躍した「具体美術協会」

コレはその「具体美術協会」というアート集団のネーミングの由来です。

人の真似をするな!誰もやらないことをやれ!

具体美術協会のアヴァンギャルドな創作姿勢は国内よりも海外で注目され、評価も高かったと言われています。

先日、その具体美術協会の元メンバーである松谷武判さんのお話しを伺う機会がありました。

『人の真似をするな!誰もやらないことをやれ!』

具体美術協会のリーダーである吉原治良さんは、メンバーにそう言っていたそうです。

松谷さんもその言葉を受けてチャレンジした一人。

先日の芦屋美術博物館での講演風景

先日の芦屋美術博物館での講演風景

「新しいことってなんやろう?」

「誰もやっていないことってなんやろう?」

そんなことをずっと考えていて、ふと思いついたのが実に“木工用ボンド”だそう。

当時(1962年)木工用ボンドは新しい素材として世に出始めた頃。

まだ珍しい存在だったんですね。

そこでその素材を活かして作品を作っていったというわけです。

初期の木工用ボンドを使った作品たち

初期の木工用ボンドを使った作品

初期の木工用ボンドで作った作品

初期の木工用ボンドで作った作品

とても特色のある、まさに他の人がやっていない作品が、次々と出来上がっていったようです。

キャンパスに使われたボンド、それが刻々と表情を変え、まるで人の肌のような艶かしさを備えていった・・・そんな新しい表現が出来ていったのかもしれません。

 

近年は木工用ボンドから、“黒い鉛筆”という素材に着目し、黒く塗りつぶす独自の世界を展開しています。

黒く塗りつぶす。

筆で黒く塗りつぶす、鉛筆で黒く塗りつぶす、同じ黒く塗りつぶすという行為でも見え方は全く違います。

その黒からしたたるしずく、飛び散るる飛沫。

鉛筆なのに墨汁のような、いや墨汁よりも繊細なリキッド、ミストのような表現。

 

鉛筆を使った作品の制作風景

鉛筆を使った作品の制作風景

鉛筆を使った作品

鉛筆を使った作品

そういった新しい表現には、『われわれの精神が自由であるという証(あかし)を具体的に提示したい』というスピリットが起爆剤になっていたのではないでしょうか?

『我々の精神は自由である』

松谷さんの作品を拝見してそのメッセージは伝わってきました。

初期の作品はもちろん、最近の作品を拝見してもまさにそういう気持ちが伝わってきます。

『我々の精神は自由である』ということを伝え続けようとする姿勢が感じられます。

御年79歳になられようとしているのにね・・・

人間同士が伝え合うことが芸術

松谷さんはこうもおっしゃっています。

「みんな一人一人違う個性を持っている」

「だから価値観はいくらでもあるのです」

「その価値観を人間同士がお互いに交歓するのが芸術」

「つまり人間同士が伝え合うことが芸術、なのです」

芸術とはつまり、コミュニケーションそのものとも言えるかもしれません。

 

みなさんがフェイスブックやインスタグラムにメッセージや写真を投稿して交流すること。

コレもある種のアート、と言えるのではないでしょうか?

だからみなさんはアーティスト、と言えるかもしれません。

ボクも、『我々の精神は自由である』そんなメッセージのある発信や投稿ができたら良いなぁ

 

・・・・・そう思った、松谷さんのお話しでした。

 

 

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