村上春樹の予知能力|エクスマセミナーin札幌
昨日、札幌で行われたエクスマセミナー。
その中で、藤村正宏先生はこんなお話をなさいました。
“教養”という言葉は英語の“リベラルアーツ”=「自由になる為の技術」(誰かの奴隷にならない為の技術)を日本語訳したもの。
普段なにげに使っている“教養”という言葉。
ボクはその意味をあまり深く考えたことはありませんでしたねぇ。
「知識が深く思慮深いこと」漠然とそんな感じで受け取っていました。
でも元をたどると『自由になる為の技術』
そう考えれば納得いく気がします。
自由になるために必要なこと
自由になる為には本を読んだり、音楽を聞いたり、絵を描いたり・・・芸術と親しむことが大切なのかもしれません。
目の前の実務的な仕事ばかりをしていたり、自社の利益だけを考える事ばかりしていては、新しいものは生み出せない。
しかし、芸術と親しむことで自由になれる、新しいものを生み出せるような気がします。
20年後、現在のほとんどの仕事がAI(機械)に代行される、とも言われています。
ではその時に人間は何をしたら良いのでしょう?
それはAIに出来ないことをすること、です。
まさに『教養』をつけること、芸術と親しむことでしょうね。
『風の歌を聴け』で述べられる“芸術”とは?
そこで、ふと村上春樹さんの小説『風の歌を聴け』の中の一文を思い出しました。
もしあなたが芸術や文学を求めているのならばギリシャ人の書いたものを読めばいい。真の芸術が生み出されるためには奴隷制度が必要不可欠だからだ。古代ギリシャ人がそうであったように、奴隷が畑を耕し、食事を作り、船を漕ぎ、そしてその間に市民は地中海の太陽の下で詩作に耽り、数学に取り組む。芸術とはそういったものだ。夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことはできない、そして、それが僕だ。
この小説は、もう37年ほど前に書かれています。
奴隷制度という言葉をAIに置き換えると、まさにこれからの世の中を予測したかのような受け取り方も出来ると思いませんか?
村上春樹さんはちょっとした予知能力が備わっているのかもしれません。
そんなことに気付かされたエクスマセミナーでした。
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