住宅の使命は自然環境との調和だけでなく、その地域の暮らしに溶け込むことにもある。
VMDコンサルタントの藤井雅範(ふじいまさのり)です。
周辺の自然環境との調和
フランク・ロイド・ライトの設計によるヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)は、一時期廃墟のように放置されていた時期があったそうです。
当時、近隣の小学校に通っていたボクの古い友だち話によると、「おばけ屋敷」とまで評されて肝試しに使われていたらしい・・・
この建築物はちょうど阪急芦屋川駅の北側に位置しています。
西隣に芦屋川、東隣に六甲山や有馬へと結ばれた芦有道路に続く道にはさまれた「細長い丘」にあります。
「六甲山という、“大きなタコ”から伸びた一本の足の先端のような場所」という風にヨドコウ迎賓館の館長は称していました。
ライトの建築が、有機的建築といわれる所以の一つは、周辺の自然環境との融和にあると思います。
この芦屋川と芦有道路に挟まれた「 細長い丘」と言っても良い山裾にしっかりと溶け込んだ建築は後の、ライトの最高傑作とも言える落水荘にも通ずるものを感じます。
*落水荘とは→ペンシルベニアの森の奥の滝の上に建てられている住宅。滝を住宅内に取り込んで建築されている。山肌から水平に突き出す屋根が印象的。周辺環境との見事な調和を果たした建築物です。
ヨドコウ迎賓館は、山の斜面と調和するようにひな壇状に3つのパーツから構成されているといえます。
斜面の下段に当たる前部に建物の1Fと2Fがあり、中段に当たる中央部に2Fと3Fがあり、上段に当たる後部に3Fと4Fがある。
斜面の傾斜と全く同じ角度で2階建ての建物が3つ連続して建っているのです。
外装のカラーも、その土地の土の色に近いエクリュベージュが基本色。
見事に周辺の自然環境と調和しているのです。
この建物の、心温まる10年間
1924年の竣工当時は山邑家の別荘としての使用。
その後の二代目所有者も別荘として使用。
その後ヨドコウの社長公邸兼迎賓館として使用されたそうです。
つまり、通常の純然たる住宅としての使用は、それまでなされていなかった、ということ。
そして1959年あたりからの10年間が、実はこの建物自身が一番幸せだった時期であったそうです。
それはアメリカ人一家が、実際の住居として住んでいたからだそうです。
長い歴史の中で、常に同じ家族が住んだという、心あたたまる唯一の時期がこの十年だったそうです。
それ以外の時期とは異なり、この期間だけは毎晩建物に明かりが灯り、生活が営まれていた。
丘の上のその明かりは、地域のシンボルとして、家路につくために駅に降り立つ人々の心にも小さな灯りをともしていたかもしれません。
建築物として周辺の自然環境と調和することはもちろん大切です。
そしてそれ以上に地域との暮らしに溶け込む、住む人の息遣いを感じる、そんなことが住宅という建築物の持つ本来の役割ではないでしょうか?
日本に駐在したアメリカ人一家の芦屋の邸宅での暮らしぶりにも興味がわきますね。
しかしやがて駐在期間は終了。
一家はアメリカへと帰還。
その後1974年に国の重要文化財の指定を受けるまでの間は、独身寮として使用された以外は廃墟同然の扱いになったそうです。
近所の人達から「お化け屋敷」とまで評される不遇の時代が続いた模様・・・
でも、取り壊してマンションにされなくて本当に良かったです。
現在、ヨドコウ迎賓館は通常は10時から夕方4時まで見学可能です。(通常は水、土、日曜日のみ開館)
なので夜間は明かりは灯りません。
しかし一年のうち数日だけは夜間見学会が行われます。
その時ばかりは夜も明かりが灯ります。
かつて住んでいたアメリカ人一家が灯したものと同じ、古くて暖かい光が灯る。
その明かりは今も地域のシンボルとして、道ゆく人々の心に小さな灯りを灯すのかもしれません。
今は亡きフランク・ロイド・ライトも、そんなことを望んでこの住宅を設計したのかもしれませんね・・・
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