ねぇみんな、知ってたかな?ロックもファッションも、カウンターカルチャーだったんだよ
70年代の一時期、日本の一部のミュージシャンは“テレビに出ない”という傾向があった。
テレビに出ることが出来ないのではなく、要請されても出演を拒否する、ということだ。
フォークやニューミュージック(古い言い方!w)では吉田拓郎や井上陽水やユーミン。
ロックでは矢沢永吉や浜田省吾や山下達郎、他にもいろいろ・・・
こういった人達はテレビへの出演を拒否していた時期があった。
だから矢沢永吉がテレビ(NHKかな?)に出演するって話が出た時、「えっ、ウソだろう?」と、エライ話題になったものだ。
でもテレビに出ないという姿勢が、カリスマ性を高めていたことも事実。
昨日のブログに書いたように、70年代のカウンターカルチャーには『自由』『解放』『平和』『反体制』『物質主義から精神主義へ』・・・という共通したテーマがあった。
それは日本でも同じ傾向。
安易にテレビに出演するってことは、コマーシャリズムへの迎合、そう見られた時代でもあった。
当時はフォークもロックもカウンターカルチャー。
それがマスメディアの最たる存在であるテレビに出演するってことは、裏切りのように受け取られても仕方がなかった時代だからねぇ。
カウンターカルチャーだったはずのロック、いつの間にかコマーシャリズムロックが増えていった。
それを揶揄するかのような歌詞がイーグルスのホテル・カリフォルニアに見受けられる。
「He said, “We haven’t had that spirit here
Since nineteen sixty-nine”
(69年以降、ここには酒(スピリッツ)を置いていません」
https://www.youtube.com/watch?v=z-oQ05MYqR4
矢沢永吉や吉田拓郎は今ではテレビにも出る。
それは開き直ったのか、十分大人になりすぎたのかはわからない。
対して未だに頑なに出ない人もいる。
マスメディアとしてのテレビの影響力が大きく変質した今、テレビに出演するってこと=コマーシャリズムへの迎合、とはもう言えない。
でも自分がどんなふうに見られるのか?どんなふうに表現されるのか?という点を気にかけるのは大切なことなんだろう。
ファッションのお店でもこんなことはある。
辺鄙な立地にあったころは遠方からわざわざお客さんが来てたのに、百貨店やファッションビルやショッピングモールに出店しはじめると、人気が落ちてしまうという傾向。
ブランドでも同じかな?
独自性のある、カウンターカルチャー的な立ち位置であれば出店立地には気を使って当然。
でもそんなブランドは少なくなった。
「売れれば何でも良い」そう言ってはばからない連中も多い。
別にそれが悪いわけではない。
ただ、新鮮だ!格好良い!と思われるファッションはカウンターカルチャーから生まれてきたことは事実。
主流の文化的慣習に対抗する想いや情熱が新しいものを生み出してきた。
「売れれば何でも良い!」
「これなら利益が出そうだ!」
っていう発想からではない。
今、若い世代にこんなことを伝えたい。
「ねぇみんな、知ってたかな?その昔、ロックもファッションも、すべてカウンターカルチャーだったんだよ・・・」
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