駄目になった王国
優等生、劣等生
小さな頃から絵に書いた優等生だった子って、まわりにいませんか?
もしかするとあなたがそうかもしれませんよね。
ボクは小さな頃、劣等感の塊のような子供だった。
勉強はできない、運動も大したことない、友達付き合いもヘタ、人気もない・・・
ナイナイづくしでした!(笑)
だから特に有望視されていなかっただろうし、そんなに期待もされていなかったように思う、たぶんね。
当時はそれが少し悲しかったような気もする。
まわりには優等生が結構いたから。
勉強はできるわ、スポーツ万能だわ、人望はあるわ、女の子にはモテるわ・・・
でもそんな場面で特に卑屈になることはなかったなぁ。
こんなボクにも優しくしてくれる人は幾人かは居たし、そんな人といると温かい気持ちになった。
優等生は大人の扱いが違う?
とっても優秀な子供は大人からの扱いも違う。
学校の友達の親からも一目置かれていたりする。
そして中には、そんな優秀な子供とそうでない子供で明確に扱いを変える大人がいた。
こんなくだらないことだけはメッチャ覚えています!(笑)
ボクの知っている優等生は、大人の前でもやはり立派でした。
そして、大人も又(自分の子供の友達なのに)憧れの人を見るかのような眼差しで、その優等生を見つめるのです。
更には惜しみなく賞賛の言葉を投げかける。
「うわっ、住む世界が違うわ」って子供心に思いましたね(笑)
優等生で居続けなければならない宿命
あれから年月が経って、たまにその頃の優等生たちとすれ違うこともありました。
大人になってもなお、キラキラしている人ももちろんいました。
でも中には、随分と落ちぶれてしまった奴もいたなぁ。
昔のキラキラが随分と色あせてね。
あの頃賞賛の眼差しを送っていた周りの大人達なら、いまはきっと冷たい眼差しを送りそうな感じ。
人間だから誰でもそうなる可能性があることは理解できます。
ただ、子供の頃優等生であればあるほど、そのギャップを見るのはツライ。
絶望的に物哀しい気分に襲われる。
子供の頃が立派であればあるほど、そのイメージが勝手に付いて回るから。
そう考えると、優等生でなくてよかったと、そう思います。
ボクが少々落ちぶれようが、それをみて物悲しい気分に襲われる人はいない。
大して期待もされてないから、とっても自由な気分です!
ま、劣等生のいいわけですけどね(笑)
村上春樹さんの短編集「カンガルー日和」に収められている作品「駄目になった王国」を読んで、そんなことを思い出しました。
この短編集、とても好きだなぁ!
カンガルー日和は短編の名作ですよね。何度読んでも楽しめます。
駄目になった王国、その立場の方は大変ですよね。
東大いって、事務次官までなる人なんて、宝くじ当たるよりずっとずっと確率低いですからね。
誰でも挫折するんですよね。だから、挫折を早く経験した方が免疫できていいって思うのは、敗者の言い訳ですかね。
カンガルー日和、ほんとに何度でも楽しめます。
佐々木マキさんのイラストが、更にストーリーに深みを与えてくれているような気がしますね!