吉原治良というアーティストから学ぶ、現代ビジネスのヒント
吉原治良の挑戦
「君の作品はあちこちに他人の影響がありすぎる・・・」
かつて吉原治良というアーティストがいました。
若き日の吉原は、作品を見てもらいに訪ねた藤田嗣治(レオナール・フジタ)にそんな風に手ひどく批判されたそうです。
しかしそれを機に、独自の作風を次々と生み出していきました。
初期の静物画から前衛的な抽象画、やがては徹底的に『円』を描き続ける晩年の作品まで。
きっと色々悩んでここにたどりついたことでしょうね。
作品はもとよりその伝え方・伝わり方に特徴が
吉原治良は、やがて身近に集い始めた若者たちと『具体美術協会』というアーティスト集団を結成します。
藤田からの批評を胸に『人の真似をするな!誰もやらないことをやれ!』というモットーで、具体美術協会のリーダーとして若きアーティストたちを牽引。
彼らはそのモットーの通り、次々とアヴァンギャルドな作品たちを生み出して行きます。
しかし、国内での評判は芳しいものではなかった・・・
その活動、作品の数々は機関誌『具体』に掲載されます。
ある日、その機関誌『具体』は吉原と親交のあった堂本尚郎という美術家の手により海を渡ります。
やがてフランス人の画商であり、美術評論家であるミシェル・タピエという人が『具体』に掲載された数々の作品に興味を示します。
そしてタピエは来日。
実際に『具体美術協会』のアーティストたちの作品を目にして、その質の高さに驚いたそうです。
タピエは『具体礼賛』という文章を残しました。
それを機にアメリカで『具体美術展』が開催。
(1958年頃のことです)
その後逆輸入的な形で国内でも『具体美術展』が行われ、徐々に評価を高めていったそうです。
作品としての進化も目を見張る物があります。
それまでのタブロー(板絵やキャンバス画)中心のものから、絵の具を詰め込んだ瓶を壁に貼ったキャンパスに投げつけたり。
天井から吊るしたロープにつかまり足の裏を使って描き上げたり。
薄いハトロン紙を貼った扉くらいのサイズの枠を何重にも設置し、そこを走り抜ける行為を含めた敗れたハトロン紙が作品であったり。
ハプニングアートといえるような、従来の発想を大きく転換した作品を発表し始めました。
SNS時代のビジネスとの共通点
あらためて吉原治良や具体美術協会の方々の歩みを振り返って感じたことがあります。
それは現代のビジネスとの共通点です。
機関誌はブログ
『具体』という機関誌は現代で言うブログのような役割だったのかもしれません。
モノを売り込むというより、自分達の姿勢や独自性を伝える。
興味を持ってもらうためのツールですね。
それがSNSでシェアされるように、堂本尚郎がミッシェル・タピエにシェアした。
その拡散力の大きさで、アメリカでの展示が実現。
共感とSNSでのつながり
日本ではそれほど高い評価があったわけではない『具体美術協会』
海外では共感され、とても高い評価を受けます。
コレは今もってその傾向があります。
ビジネスで考えると、お店の前を通る人はとても少ないけど、SNSでつながっているとても遠くの友達からでも買ってもらえる。
そんな状況とにている気がしました。
実際ボクの友達にはそんな経験をしてビジネスを楽しんでいる人が多いんです。
資本力よりも独自性
『人の真似をするな!誰もやらないことをやれ!』というモットーの元、本当に独自性のある作品がたくさん生まれました。
従来のタブロー(板絵やキャンバス画)をビジネスと考えたら、自分のやりたいことがハプニングアートや野外での展示会だったのかもしれません。
こうなると圧倒的ですよね。
優れたタブローはたくさんあるかもしれませんが、アヴァンギャルドなハプニングアートはあまり前例が見られなかった時代です。
選ばれやすくなる独自性を持っていたんだと思います。
1972年に吉原治良の死去に伴い解散した具体美術協会。
今もなお、世界の各地でミュレーションされ展示されています。
ボクには、彼らの創作と世界への拡散の仕方が現代のビジネスのヒントになるような気が、するのです。
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