『フェアレディZ』と『DATSUN240Z』
VMDコンサルタントの藤井雅範です。
フェアレディZという車は米国では『DATSUN240Z』の愛称で呼ばれていました。
日本でも大変な人気がありました。
しかし販売台数を見ると、圧倒的に米国で人気があった様です。
デビューの1969年からの10年間で世界総販売台数55万台(うち日本国内販売8万台)だそう。
日本より海外で良く売れていた。
それも圧倒的にアメリカです。
アメリカでの人気
当時のアメリカ。
スポーツカーといえば、ヨーロッパ車。
ジャガーEタイプ、ポルシェ911、MGなどが人気があった様です。
アメリカ国内で言えば、シボレーのコルベットが思い浮かびますね。
しかし、スポーツカーに乗りたい若者からすればどれも高嶺の花。
そこに参入したのが日産(アメリカではDATSUN)のフェアレディZ。
スタイリングはジャガー、ポルシェ、MGに勝るとも劣らないデザイン。
しかも価格はそれらの半分ぐらいととってもバリューがある。
操作性や維持費は通常の車と変わらない。
おそらく、そんな魅力で、アメリカで圧倒的な人気を得たんでしょうね。
ボクが最初に手に入れた車
実は僕が免許をとって、最初に手に入れた車が1975年製のフェアレディZ。
電子制御される前のキャブレター仕様です。
どうしてこの車を買ったのか?
それはまぎれもなく一番カッコいい車だったから。
加速、コーナリング、最高速度・・・・・色んな選択肢が合ったはずです。
ボクの友達はそんなことを基準に「アレが良いコレが良い、俺はアレをが欲しいコレが欲しい・・・」などと夢中に話していたっけ。
しかし、そこにはあんまり興味はなかった。
別にレーサーになりたいわけでもないし(笑)
当時ボクが車に求めた要素は『かっこよさ』
車体のデザインが格好良くて、インパネに並ぶ3連のメーターパネルが格好良くて、低いドライバーズシートに腰をおろしてみると、まるでゴーカートをドライブしている様なフィーリング。
やっぱり車ってスタイリングがクールなのが一番!
その為には現実的にはこの車以外の選択はありませんでした。
当時のアメリカ車、トランザムやコルベットに憧れはあったけどね。
買えないし、維持出来ない。
何しろガソリン1リッターで3キロも走らない(笑)・・・
『マスタング』と『Z』
アメリカで成功した車で思い浮かぶのが『マスタング』
フォードの『マスタング』は、大衆車であった同じフォードの『ファルコン』のシャーシをベースに作られました。
大衆車の上にスポーティな、グッドルッキングなデザインのボディを載っけたマスタングは大ヒット。
本格的なスポーツカーには乗らない(乗れない?)けれども、そんな雰囲気を感じてみたい、しかも手の届く価格で・・・という若者にとっても沢山の支持を受けた様です。
本物のハードなスペックではなく、スポーティな車を操るファッショナブルな感じ・・・
それを身近に感じてみたい・・・
『マスタング』の大ヒットと『DATSUN240Z』の大ヒット。
どちらもアメリカの若者の心を惹き付けた共通のマーケティングがあるように思います。
スポーツカーやスポーティカーという『イメージで売る』マーケティング、とでも言えば良いのかな。
本気ではないけれども、スポーツカーを操る楽しさ。
スポーツカーのある格好の良い暮らし。
『マスタング』や『Z』はそんなイメージを売り物にしていたように感じます。
片山豊氏
元米国日産の社長で『フェアレディZ』の生みの親で『Zの父』などと呼ばれた片山豊氏。
この19日にお亡くなりになられたそうです。
享年105才。
彼が居なければ、ボクがZに乗ることもなったんだろうな。
・・・・・ご冥福をお祈り致します。
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