白洲次郎とジーンズ|ストーリーを語ろう

リーバイス501

 

リーバイスの501というジーンズがある。

リーバイス501はシュリンクトゥフィット(防縮加工なし。洗って縮むことで身体にフィットする)

3回から4回洗ってやっとサイズが落ち着く。

そしてボタンフライ(フロントがジッパーではなくボタン仕様)

リジッド(未洗い)は糊が付いてゴワゴワで硬く、ボタンの開閉がきつくてとても時間がかかる。

 

体に馴染むように穿き込み、洗濯は3~4ヶ月に1度までに抑える。

そうすることで、深くコントラストのあるその人の体型独特のアタリが出る。

デニム好きの人はそんな育て方を楽しんだりする。

白洲次郎という男

白洲次郎という人がいた。

吉田茂の右腕としてGHQとの窓口役を担った人だ。

当時、連合国軍最高司令官であったマッカーサーに、天皇陛下からのクリスマスプレゼントを届ける際のお話。

次郎が持参した陛下からのプレゼントに対し『そのへんにでも置いておいてくれ』というぞんざいな扱いを受け『いやしくもかつて日本の統治者であった者からの贈り物をその辺に置けとは何事ですか!』と叱りとばし、贈り物を持って帰ろうとしてマッカーサーを慌てさせたという逸話のある気骨ある人物。

 

軽井沢ゴルフクラブの理事長を務めていた際にはこんなエピソードもあるそう。

田中角栄が総理大臣だったときにアメリカ大使を連れ、プレーさせてほしいとやってきた。白洲次郎理事長は「日曜日はメンバーズ、オンリー」と英語で大使にお断りした、という・・・

 

外見もスタイルが良く、ダンディで色気がある。

英語を流暢に操り、メカにも詳しく、80歳になってもポルシェを自ら運転していたらしい。

日本で最初にジーンズを愛用した男

そんな白洲次郎は“日本で最初にジーンズを愛用した人物”ともいわれているそうです。

そのジーンズが、リーバイス501だったという説がある。

(リーの101を愛用していたという説もある)

白洲次郎の外見の魅力と反骨心のあるエピソード。

それがジーンズというアイテムにストーリーを付け加えているように思う。

 実際そんな話を聞いて、ボクはますますリーバイス501を始めとする“デニム”が好きになった。

 

リーバイス501やリーの101。

その“モノ”としての性能や製造過程や逸話にも興味がありますが、それを愛用した人物のストーリーを知ることで、より愛着が出てくると思う。

 

もしあなたが自分の商品の“モノ”の性能ばかりを伝えていたとしたならば、一度愛用している人のストーリーにも目を向けてみてください。

新たなファンが増えるかもしれませんよ。

 

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