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すべてのものは「無常」。美しい読経を聞きながら感じたこと・・・

結局はみんな死ぬ

そうですよね、結局みんな死ぬ。

でもそれを実感しないまま生きている自分が居ます。

まさか自分が今日や明日には死なないだろう、とどこかで高をくくっています。

でも明日も生きていられるだろうと思う心は、次の日にも、また明日も生きていると思うのですよね。

結局自分は永久に死なないと思っているのです。

心の何処かで・・・

無常とは?

「無常」とは、仏教用語で“一切のものは、生じたり変化したり滅したりして、常住(=一定のまま)ではないということ”だそうです。

すべてのものはずっと一定のままの存在ではない、ということ。

例えば自分の健康や家族、お金や財産、地位や名誉。

そういったものはずっと存在している、安定して保てる、と心の何処かで信じている自分が居ます。

でも実際にはそうではないですよね。

自分が病気になることもあれば、家族が亡くなることもあるし、収入が減ることもあります。

そしてそんな時には、自分が不幸になったと感じてしまう。

実際にボクもそう感じてしまっています。

ただ、すべてのものは「無常」だと意識していれば、不幸を感じる度合いを減らすことは出来るような気がします。

無常だからこそやっておくべきこと

すべてのものは「無常」

だとすれば、どう生きれば良いんでしょうか?

ボクが一つだけ感じることは、“今の自分を懸命に生きる”ということです。

何も一生懸命力を入れて過ごすということではありません。

過去の過ちを思い返して嫌な気持ちになったら、そのおかげで今があると考えてみる。

未来の不安や心配にとらわれている時間があれば、成功している姿を思い浮かべてみる。

人と比較したり妬んだりする気持ちが湧いた時には、ありのままの自分をほめてみる。

やりたいことがあるのなら、先延ばしにせずやってみる。

感謝を伝えたい時には口に出して伝えてみる。

会いたい人がいれば、会いに行ってみる。

愛する人がいれば素直に好きだと言ってみる。

 

そんなことが“今の自分を懸命に生きる”ということかもしれません。

そしてそれができれば、「無常」の現実に直面した時にも不幸を感じる度合いを減らすことが出来るような気がします。

ボクはまだまだ出来ていません。

毎日のように後悔したり、不安になったり、人と比べたり、言いたいことが言えなかったり、素直になれなかったり・・・

 

でも現実には何度も「無常」に直面してきました。

よく考えれば、毎日が「無常」ですよね。

なるべくは、不幸を感じて生きるより幸せを感じて生きることができれば良いな、と思います。

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84年の人生を終えた父親を送り出す日に、住職の美しい読経を聞きながら、そんなことを感じました。

 

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