ある役者との別れ・・・
役者という生業
役者という生業(なりわい)は、独特なもののようです。
メガネをかけている役柄だから、観客からは見えないのに、付け睫毛をしたりカラーコンタクトをつけたり。
変わった手袋を付けている理由を問われれば「スナイパー(狙撃者)だから」と答えたり、今の仕事を尋ねられると「パチプロ」と答えたり。
まるで自分のレゾンデートル(存在理由)を追い求めて生きているかのように思える・・・
ボクの友達の藤田辰也という役者には、そんな一面がある。
才能の芽
高校時代の彼は、ボクのようなちょっとはみ出した輩ともすんなりと付き合えたし、それとは異次元の優等生グループにも溶けこんだし、無邪気な女生徒とも仲が良かった。
夜遊びもすれば、バンド仲間と過ごしたりもする。
時には水練学校の先生をしてみたり、バーテンのアルバイトをしたり。
家に帰れば家業(工務店さんでした)に従事する職人さんたちにも可愛がられる存在。
今思えば、いろんな顔を持っていたように思います。
それぞれの場所で沢山の人に愛された。
これってちょっとした才能だと思う。
そしてそれぞれのコミュニティの中で、独自の存在感を出していた。
他人と強く対立することはないが、他人が思いつかないちょっと外した発言や独自の発想をする。
彼のそんなところが、ボクには魅力的に映って好きだったなぁ。
南河内万歳一座
ボクと同じ大阪芸術大学に進学して、彼は“南河内万歳一座”という劇団に入りました。
演劇をする=役者になるというのは、多くのコミュニティに溶け込める才能を持つ彼にとってはごく当たり前のことだったのかもしれない。
そうして彼は実際の人生以上に色んな顔を演じた。
更には舞台用の音楽から、映画用の音楽まで手がけたそうです。
その数はなんと5000曲にも上るらしい。
“南河内番外一座”という劇団外の活動では脚本や演出まで手がけた様子。
本当にたくさんの顔を持っていたんやなぁ。
劇団に入って30数年、彼は演技や音楽や脚本で沢山の観客の感情を、何度も何度も揺さぶり続けていたことでしょう。
お別れの会。一心寺シアターにて
先日、その藤田辰也くんのお別れの会に参加してきました。
一心寺シアターという、お寺の隣にある劇場です。
舞台には彼の写真が10枚、祭壇に飾られていました。
プロフィール画像を中心に、ココでも10通りの役を演じてるかのように見えます。
座長の内藤裕敬さんはじめ劇団の皆さんひとりひとりからのメッセージ、遺族からの挨拶。
それを聞いても尚、ボクには彼がこの世から去ってしまったことをリアリティを持って感じることが出来ませんでした。
全く現実感が感じられない。
さて結末は?
ボクが彼の死にリアリティを持って向き合えなかった理由の一つ。
それはお別れの会の最後に、舞台の祭壇から彼が蘇ってオチにするという、そんな壮大な芝居を打ちそうな予感がしたから・・・
結局その日のオチは見られなかったですが、そのうちにもっと大きな結末を見せてくれる、そんな気がしています。
何しろ沢山の役を演じてきた、生粋の役者だった彼のことだからね・・・
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