• HOME
  • BLOG
  • VMD
  • タヌキが隠したお菓子の缶とマグロのお刺身

タヌキが隠したお菓子の缶とマグロのお刺身

今日は74回目の終戦記念日。

僕は両親から戦争にまつわる苦労話を、それほど聞かされていない。

父親は昭和6年、母親は昭和12年にそれぞれ生まれた。

多感な時期を戦中戦後と過ごし、神戸大空襲や阪神大空襲で逃げ回ったということは知っている。

しかし大変な苦労話として聞かされた印象ではない。

実際には食べ盛りの時期にひもじい思いをしたり、小さな妹をおぶって防空壕に逃げる途中に怪我を負ったりしているはずなのにね。

 

僕たちからするとそんな経験はとても大変なことのように感じるが、本人たちはまた別の思いがあったのかもしれない。

今となってはもう、それを確認することもかなわないけど・・・

父親の足の怪我

それでも親の子供の頃の苦労話で聞かされたことで印象に残っている話が1つある。

それは父親の左足の親指が欠損した時の話。

 

僕の父親の左足は人差し指が大きく発達し、なおかつ常に直角に折れ曲がっていた。

多分人差し指は、そう進化することで欠損した親指の機能をカバーしていたんだと思う。

実際に老人になるまでその足でしっかり歩いていたし、バトミントンまでこなしていた。

不思議なのはその4本指の左足がとても自然に見えたこと。

ずっと見慣れたからかもしれないが、「父親の左足とはこういうものだ」という不思議な説得力を持って僕の目に写った。

 

そもそも欠損したのは交通事故だったそうだ。

まだ幼児だった父親が街角で馬車に轢かれたのだ。

その時の話だけは何回か聞かされたのでよく覚えている。

祖母の言い分

一度、祖母(父親の母)の居る場でその話になったことがある。

そのときに祖母の口から出た言葉が忘れられない。

まるでタヌキを彷彿とさせる丸い体つきの祖母は、自分の息子である父親に向かってこう言ったのだ。

「私かて子供やったさかいに、あんたが馬車に轢かれるとは思わへんかったし・・・」

まぁ今なら育児放棄と言われても仕方がない発言。

しかし、あっけらかんと本人を目の前にそう言ってのける姿は潔くさえある。

 

聞いてみると、僕の父親は父の祖母(僕の祖母の姑)に大事にされ育てられたそうだ。

そして僕の祖母は17で嫁ぎ19で父を出産。

その子を姑に取り上げられたような状態だったらしい。

だからそんな発言をするのも、まぁ無理はないかもしれない。

それにしても・・・(笑)

祖母のキャラクター

祖母は時々嘘をついた。

それもびっくりするぐらいわかりやすい嘘。

 

例えば、学校から帰って台所に行くとテーブルの上に洋菓子の缶が置かれているとする。

僕の視線がその缶に向くとすかさず

「コレお客さんからの預かりもんやさかいに」

と言って缶を隠したりすることは日常茶飯事。

マグロ事件

ある時、いつものように学校から帰ってなにか食べようと台所に行くとそこに祖母がいた。

僕が入ってきたらあわててテーブルの下にお皿を隠すのだ。

口をもぐもぐさせながら・・・

僕がテーブルの下を覗くと、その皿には美味しそうなマグロの赤身のお刺身が盛られていた。

「コレな、もう古いもんやさかいにあんたが食べてお腹壊したらあかんよってに、わたしが食べてんねん」

まぁなんとわかりやすい嘘、と子供心に思ったけど。

その様子が滑稽すぎて腹も立たなかったと思う。

 

でもあれは嘘じゃなかったかもしれないなぁ。

消費期限切れの古くなった牛乳を捨てようとすると

「それ私が飲むから頂戴」と言われたことが度々あった。

「えっ、コレ古いで。大丈夫なん?」と聞くと

「お通じが良うなるから、ちょっと古いくらいで丁度良いねん」

というやり取りをしたことを覚えている。

 

少々古いものを食べてでもお通じを良くしようとする、斬新なダイエットを身体を張ってやっていたみたいだ。

そんな祖母も阪神大震災が起こる前の年、大好きな旅行から帰ってきた翌日にコロッと亡くなった。

ErikaWittlieb / Pixabay

食いしん坊でタヌキのような体型なのに足だけは細く、わがままなのに愛されていたキャラクターの祖母。

きっとしあわせな一生だったことだろう。

もしまだ生きていたら寿司屋にでも行って、一緒にマグロを食べようと思う。

「コレ、ちょっと古いさかいにアンタの分も私が食べてあげるわ」って言ってくれるかなぁ?

 

 

 

 

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA