もう話したくない・・・

こんにちは!

藤井雅範です。

『I Don’t Want to Talk About It』

Justasurferdude / Pixabay

ロッド・スチュワートのアルバムに『アトランティック・クロッシング』というのがある。

そのなかで『もう話したくない(I Don’t Want to Talk About It)』という曲が好きで良く聞いていた。

 

それについてはもう話したくないんだ。

 どんなふうに君が、ボクのハートをボロボロに打ち砕いたのか・・・

 

という、女の子に振られたちょっと情けない歌詞のようです。

 

高校に入った頃。

ボクは『もう話すのをやめよう』、そう思ったことがある。

どうしてそう思ったのかというと、ボクが口に出す言葉で人を傷つけたと自覚したことがあったから。

自分ではそんなつもりではなくても、つい軽く口走った言葉が人を傷つけた。

だからもう話すのをやめようと思った。

 

友達と一緒には居るし、笑ったり遊んだりはしても言葉数を極端に減らしてみた。

家族に対しても同じ様に口を閉ざした。

するとしばらくそれまでボクをからかっていたり、冷やかしていた連中までもが気を遣ってくれ始めた。

『どうした?』『大丈夫か?』『何かあったの?』

つい調子に乗って口数を減らしたままで過ごしてみた。

結果を言うと、不要な軽口は減った代わりに、本当に言わなければならないことまで言えない自分になっていた。

『ありがとう』も『ごめんなさい』も『好きです』も『楽しいね』も。

 

よく考えてみるとそれまでのボクは、自分勝手で頑固で短気で無神経であまのじゃくで、随分とあさはかな人間だった。(今も大して変わっていない)

だから深く考えもせずに言葉を選ばずに口に出していた。

本当はそこに気がつくべきなのに、『言葉数を減らす』という外見の行動を選択したばかりに『気持ちを伝える』という、とっても素晴らしいことまで放棄してしまったのだ。

 

結局長い時間をかけて、今では普通に喋るし、軽口も叩く。

もとに戻っただけかもしれない。

ボクがあの時にとった行動。“無口でいる”ということは結局『人を傷つけない=自分を傷つけない』ため。保身のためだった。

それに払った代償は大きかったかもしれない。

 

ボクが、『ありがとう』も『好きです』も『楽しいね』もうまく口にできなかった時代にも優しく接してくれた皆さん。あの時は『ごめんなさい』

 

おかげさまで今があります。

ありがとうございます。

 

Atlantic Crossing

ロッド・スチュワートの『アトランティック・クロッシング

大好きなアルバムです。

 

特にこの『もう話したくない(I Don’t Want to Talk About It)』『It’s Not the Spotlight』『This Old Heart of Mine』と連続する3曲が良い。

ロッドの、あのしゃがれた声のが楽曲の魅力を引き出してくれています。

Atlantic Crossing

Amazon Primeでも聞くことが出来ますよ!

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